桜が咲きました

当寺の裏の駐車場の片隅にあるしだれ桜が咲きました。

このしだれ桜は、今から約20年ほど前私が住職になりたての頃、ご門徒のお一人からいただいたもので、最初は境内の鐘楼堂の前に植えていたのですが、本堂建て替えの時期に本堂前を整地しなおし、そのためにやむなく今の場所に移しかえそのまま今にいたっています。

 当時この桜をうえてくださったお同行はもはやお亡くなりになり今この桜のいわれを知る人は数少なくなりました(私一人か)。

 せっかく咲きほこりその場所になじんできたのにまた植えかえするのも気がひけます。場所的には以前の場所の方が絵になるような気がしますが、今の場所は裏に道路があり道行く人から眺められて桜も咲きがいがあるのでは、などと勝手なことを思ったりしています。

 

 「 散る桜 残る桜も 散る桜 」 「 無量寿 花咲くも 花散るも 」

 

桜にちなんでの言葉は数多くあるようです。

 

 「散りぎわに なにかいおうとした 桜 」

 

「 花びらに 青空のせて 散る桜 」

 

 桜は華やかです。しかしそれゆえに散る時は物悲しく感じます。

 

 散ることを知る。散るがゆえに咲くが美しい。

 

「 散ることを 教えて咲いた 桜花 」