源信僧都の「往生要集」を読んでたら、次の言葉に出遇いました。
「 足ることを知るならば貧しくても富むといえる
財産はあっても欲望が多ければこれを貧しいと名づける
もし財産が豊かであればいろいろの苦を増す
龍は首が多ければ苦しみを増すようなものである
美味は毒薬のようだと観じ 智慧の水を注いで
清らかにさせるべきである・・・・」
「欲望が多ければこれを貧しいと名づける。」
欲は果てしがない。きりがない。無明煩悩。欲は真っ暗。
「猫に小判というけれど 人間はその小判に目がくらむ」
(相田みつを)
真っ暗だから迷って同じ過ちを繰り返す。
これをどこまで自分のことだと聞いていけるか。
どこまでも自分のことだと知らされていく道を仏道というので
しょう。
なんまんだぶつの道。
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