(宗教心とは)特別な心ではないんです。人間であるならばちょっと真面目に考えたら、誰でもが願わずにおれない確かな生き方の欲求、それを宗教心という。
「私は無宗教だ」という人がいます。それはたぶん、今流行っている
あらゆる宗教を信じないというんでしょう。いわゆる既成宗教というものを全部信じない。それほどその人は痛切に本当の生き方を要求しておるのです。 (「仏法と世法」和田稠講述 聞思舎発行)
上の文章は、先日ネットを検索していてみつけたものです。
「私は無宗教だ」という言葉を実際に私も聞いたことがありました。
それについてそんなことをいう人を、私は軽視していました。
(人生を真剣に考えていないから そんなことをいうのだ)と。
しかしここに和田先生のお話を聞かせていただいて、あらためて「無宗教」について考えさせられています。
既成宗教のありかたを問われている大切な言葉であったのだと。
なんまんだぶつ。
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